ピュアホワイトという名前と想いについて

2025年4月20日しろ

初めまして。しろと申します。
まず初めに僕の根幹ともいえる「ピュアホワイト」という名前について書きます。

「ピュアホワイトとは」

僕が使うピュワホワイトという言葉には次の想いが込められています。

  • ピュア:純粋で素直な人。頑張っている人を応援出来たり、自分も全力で頑張ることが出来る。夢を持っている。自分に言い訳をしない。自分を正当化しない。サボらない。自分に嘘をつかない。優しい。

  • ホワイト:上記のような頑張りたいっていう人は1人だととても弱い。頑張っている人を馬鹿にしたり、愚痴を言ったり、言い訳をしたりするような人によって簡単に心を黒く染められてしまう。せっかく頑張ろうといったような心を持っていたとしても性格が悪い人によって心が黒くなるのは、白い絵の具に黒い絵の具を垂らしたように、「早く」「広く」「深く」影響されてしまう。

僕は決して誰彼選ばず全員に対して一緒に関わっていきたいとは思っていません。
ピュアホワイトという言葉でいうと、ピュアな人達と関わっていきたいです。

心がどうあるかという問題だけなので、実績があるか、住まいはどこか、家庭環境はどうか、とかそんなの一切どうでも良いです。

ピュアホワイトの理念は「頑張りたい人が輝けるようにする」です。今仕事がうまくいっていない、自分のことを認められない、もっと自分の人生を良くしていきたいけど方法ややり方が分からない。。ピュアホワイトではそういった人たちが輝いていけるようにしたい。

「頑張りたい人が輝けるようにしたい」と思った背景になる、僕の印象的な出来事をいくつか書きます。文量は気にせずに思う存分に書かせて頂きます。これは僕が辛い、苦しい状況でも頑張れるように、踏ん張るための想いみたいな意味も込めています。

高校でのバレー部と大学受験の経験

僕は、中学生の頃はバスケ部のキャプテンをしていましたが、高校生の頃にバレーボール部に入部ました。理由は何となく先輩や同期の雰囲気が楽しそうに思えたからです。1年生でバレー部に入った時は、確か同じ学年でメンバー17人、マネージャー3人だったと記憶しています。

僕は高校2年生の頃からBチームでプレーをして、3年生に上がるころにはレギュラーになっていました。ポジションはレフトという最後にスパイクを決める役割です。高校3年生の頃のレギュラーは2人が中学からの経験者であとは未経験から始めたメンバーでした。経験者は187cmで高校1年生の頃からレギュラーだったスパイカーと、同じく先輩よりも上手くて1年生からレギュラーを行っていたセッターの子がいました。

そのため、経験者と未経験者との間で実力差がかなりあり、未経験者のミスに対して経験者がため息をついたりしてチームの雰囲気が悪くなる、結果として得点をリードしていたにも関わらずミスが続いて逆転負けされたり、格下相手に負けることもありました。

僕は、3年生になってもスパイクを安定して打つことが出来ませんでした。理由は、ボールに回転が上手くかけられなかったからなのですが、結果として調子が良い時は決められるが、調子が悪くなるとミスが続くようになっていました。自分のミスによってチームの雰囲気が悪くなることが嫌になっていたタイミングで、センターの子が退部を考えているため1週間休むという連絡を貰いました。

1週間後、結局自分はもう戻りたくないということで辞めました。(バレー部の子はAチームからBチームに移るという理由で戻ります)。辞める際に、当時のキャプテンが緊急ミーティングというものを開いてくれまして、「夏合宿を皆で乗り越えてきたんだからこのまま一緒に頑張りたい」とか「俺らと一緒に頑張ろう」みたいなことを言ってくれました。ただ、どうしても自分は戻りたくなく、泣きながらごめんと言います。ただ、その時にリベロの子に「バレー部を辞めるなら早稲田大学に受かるくらいにがり勉になれよ」と言われます。

その時バレー部から逃げる自分に、他の頑張る道を与えてもらいました。そこから本気で勉強しようと思い毎日勉強します。早稲田大学に受かって、お礼の報告をしようと思ったのです。YouTubeで勉強方法を調べて英単語を2週間で2000語完璧にも覚えました。英語と日本史の偏差値も50から70くらいまで上げます。

その時に自分は、自分の可能性を信じられた気がしました。英単語や日本史といった暗記系の勉強であれば、短期間で一気に偏差値を上げることが出来たのです。バレーでは何とかしたいと思っても上手く行かなかったですが、暗記系の勉強であれば自分を変えられる、可能性を広げられると思いました。

自分はバレーでは力になることは出来なかったですが、暗記系の勉強では人の可能性を広げられると感じました。ピュアホワイトでは、暗記系の勉強の仕方を教えることも出来ますが、その勉強の仕方を転用させた「訪問販売」「テレアポ」のアポ取りを通じて人の可能性を広げることをメインで考えています。

小学校の頃の経験

僕が小学生の頃から考えている理想像について話させてください。僕は小学校入学前に引っ越しをして来たため、小学校入学当初には顔なじみがおりませんでした。周りは同じ幼稚園や同じ保育園などで早くからグループが出来上がっていました。自分としては皆と仲良く輪に入っていきたいけど、なかなか入れないといった状況でした。

そんな中、サッカークラブに入っている男の子が遊びに良く誘ってくれました。家が近かったのもあるかもしれませんが、一緒にサッカーしたり、温泉に行ったり、将棋をしたり、、。その子は学校内・学校外で友達が多く、自然と自分にも友達が増えていき学校生活が楽しくなりました。

その時、その男の子が僕にとってはとてもカッコ良い人で自分もこういった人になりたいって心の底から思いました。少し抽象的に捉えると、周りに上手く馴染めていなくても、現状上手く行っていなくても、その人の可能性を信じて一緒に伴走してあげられるような人。自分が関わることでその人がイキイキと楽しそうに輝いていく。そういった人になりたいと思いました。

だからピュアホワイトでは、あなたの現在の能力とか、周りの人と上手く出来ているかとかは気にしないです。頑張りたい、何とか自分が変わりたいと思っている人に対して、小学生の頃の男の子のように僕は一緒に寄り添っていきたいです。

大学の彼女の話

大学に入学してすぐに付き合った人がいました。薬剤師の大学に行っている人で、物事を自分で考えていてスポーツを頑張っていたところに惹かれました。当時僕はアルバイトなどはせずに、ただ山を登る部活で毎日気楽に楽しんでいました。比べて彼女は個人経営のカフェでかなりアルバイトのシフトを入れていました。薬剤師は通常の4年制大学よりも期間が長い6年なため少しでも自分がバイトでお金を稼いで学費を支払うためと言っていたと思います。

付き合って数か月後に彼女から父親がうつ病になったと聞きました。また、うつ病になったからその分自分が働いてお金を稼ぐ必要があるとも言われました。それを言われても、僕は特に何かしてあげられるわけでもなく、変わらずに部活と学校生活を楽しんでいました。

ちょっとしてから、彼女から別れを告げられます。自分は父親がうつ病になって働かなくちゃいけない状況なのに、呑気にしている僕が嫌だみたいに言われた記憶があります。その時に、あぁ自分って何もしてあげられなかったんだなぁって思いました。自分ももっともっと働いて自分自身が頑張ってそういった人の助けになれるような人にならないといけないなぁと思いました。

そしてその後にスーパーでアルバイトを初め、大学2年生の4月から訪問販売の長期インターンも始めることになります。昔の自分は彼女に何もできなかったけど、今の自分や将来の自分は彼女みたいに「頑張りたい」「自分の人生を何とかしないといけない」みたいな人の助けになれることを目指しています。

大学での訪問販売の経験

大学2年生から1年間、蓄電池の訪問販売を経験します。学生が300人ほどいる組織で僕は最初のアポイントを取る役割をさせて頂きました。訪問販売では初めて1か月以内に辞める人が体感で半分以上いました。理由は恐らく、訪問販売がしんどかったのとお金を稼ぐために入ったのに契約につなげらないとお金が入らなく、そのギャップにやられていたのだと思います。

反対に1年以上続ける人は大体以下の2つのパターンだった気がします。1.ぱっぱと契約を取ってすぐにお金の入金が入った人。2.訪問販売を始めた目的がお金以外の経験値や成長的な観点だった人。

自分は初出勤日までにスクリプトを1言1句完璧に覚えていたこともあり、かなり早くからお金を稼げた+始めた目的が成長的観点だったので1年間続けることが出来ました。1か月で辞めないで1年間続けられたからこそ、自分の中で成功体験も積め、自信が出来て良い経験値を得られたと思っています。

僕は、訪問販売の頃に頑張りたいと思って始めたみたいな人が、1か月2か月で辞めずに1年間以上続けられるようなサポートをしたいと考えています。ピュアホワイトでのサポートを通じて、訪問販売やテレアポを始めたあなたにすぐにアポイントを取らせます。初めての成功体験をぱっぱと積ませます。そうしたら楽しくて、成功体験や成長を感じられ1年間は続けられると思ったのです。

僕も訪問販売の頃に、沢山の人に貴重な時間を割いていただきました。その中で、一緒に考えたり教えて頂きました。僕には訪問販売が1年間ずっと楽しかったのです。だから、頑張りたいと思って訪問販売やテレアポを始めた人には、同じように楽しいと感じて欲しいと思っています。

大学でのテレアポの経験

大学4年生の頃に2つの会社でテレアポを経験させて頂きます。創業2期目の会社と創業2年目の会社です。どちらの会社でもテレアポをするのは自分だけでした。基本トークや切り返しトークを考えるところから自分でしていきました。

訪問販売の頃にトークは考えていたから大丈夫だろうと思っていたのですが、結果はどちらもボロボロでした。自分の声を録音して振り返ったり、YouTubeや本で色々調べてみたり、ココナラを使って相談をしたりもしたのですが出来なかったです。テレアポをする前はお腹が痛くて頭が痛かった記憶があります。

今振り返ってみると、訪問販売が出来てテレアポが当時できなかった理由は一緒に頑張れる人がいなかったから、身近な人からの個別具体的なアドバイスを頂いていなかったからではないかなと思います。

実際に積水ハウスに入社して、全国トップクラスに電話が得意な人に個別で相談をさせて頂いてからはテレアポが出来るようになりました。

僕は、当時の自分のように1人でもがいている人、何とか自分を良くしていきたい、というような人の助けになりたいと考えています。

大学で時価総額数千億円以上の創業者との出会う

大学4年生の頃に時価総額数億円の創業者と出会います。きっかけはXで長期インターン募集という投稿をされていて、僕がそれにDMを送ってからです。

その人はXの投稿から実際のリアルまでかなりオーラのある人でした。その会社の従業員はほとんどがその方のX経由やそのメンバーの紹介で入った人たちです。創業者の方と話した後の営業マンは、皆キラキラしていてとても喜んでいました。

その方に僕は憧れて自分もそうなりたいなと思いました。そのために、今までの自分とは大きく変わろうと考えて新卒で入る積水ハウスでは東京から福岡へ希望して移ります。

僕もその創業者のような人になり、自分の周りにいる人を輝かせるような人になりたいです。

新卒で積水ハウスに入社

新卒では積水ハウスに入社をして、シャーメゾンという賃貸マンションの建築を勧める営業を行いました。会社に入社して早々周りの人たちはこの会社には先がない、将来的には転職をするかもしれないといったことを聞きました。東京にいる友達も自分のやりたいことを出来ているのか分からない、1人で砂漠の上を歩いているようだという意見を聞きました。

僕は、訪問販売の頃に始めて早々に辞めた人や大学の頃に1人でテレアポをしていた自分と重なって、そういった人たちでももっと前向きに、自分の夢や想いを持って働けるようにできないかなぁと考えました。

特に印象的だったのは、1年目の6月末に1つ上の先輩が退職した時のことです。その先輩は毎日、朝早く出社をして遅くまで残り会社の飲み会やイベントには毎回参加されているような人でした。飛び込み件数も支店で1番だったと聞きました。

しかし、僕にはその先輩がこの会社で得られたものがあまりないように見えました。恐らくそれはその先輩にとって、その会社で経験値を得るには辞めるのが早かったように見えたのです。あともう1年、2年間その会社にいれば成功体験も出来て成長も実感できてたのではないかなぁと思いました。

とはいえ、入社して1年目の人がお客様を持って行く方法は飛び込み営業かテレアポ営業が基本です。1棟数億円以上もする提案を初対面での飛び込み営業で持って行くのはなかなか大変です。初回提案やイベントの誘致でさえ難しいです。そうなると、営業としての経験値の幅が積みづらく、結果先が見えずに辞めてしまうということに繋がるのではないかと思いました。

反対に最初が上手く行けば、大学の頃の訪問販売のように楽しく長く続けることが出来、そうしたらその人にも成功体験とか成長が実感できイキイキと働けるようになるのではと思ったのです。なので、ピュアホワイトでは営業始めたての人やこれから始める人に向けて、訪問販売のアポイント取りやテレアポのアポイント取りに特化させています。

さらには僕の組織や環境自体が、会社でのストレスのクッションとなることも考えています。最初は僕らが仕事のストレスのクッションとなりますし、ゆくゆくは自分で自分のストレスのクッションを作れるように、さらにはお互いが励まし合って高め合えるような環境づくりを作っていきたいです。

年齢、性別、住んでいる場所、全部どうでもいいです。今、もがいていたり、未来が暗いと思っている人たちが、人生楽しい、私はこれをしたい、将来に希望が持てている、充実している、という風に思えるようにしていきます。頑張りたい気持ちがあれば、絶対大丈夫です。僕も常に頑張っていくので、一緒に頑張っていきましょう。

しろ